2026年10月25日
昨日、Vue Fes Japan 2026 に参加してきた。Vueは詳しくないし英語のセッションも雰囲気しか掴めない部分は多かったが、それでもイベント全体のコンテンツや熱量の高さが単純に楽しかった。



今回は(も?)一人参加で自分なりに考えを整理する余裕があったのか、その場で自分なりに気づきというか思うところがあったので書き残しておく。
最近は、AIの進化に助けられつつそれ以上に「エンジニアとして」の無力感やつまらなさを感じていたと思う。
そもそも「コードをこだわって書いている自分が好き」という動機でエンジニアの道を選んだので、AIによってそれが肩代わりされ、積み重ねがない人でも物を作れるようになって、でも自分自身もそれに依存している。毎日それを痛感することで、エンジニアないし自分の存在意義を否定されているように感じていたのかもしれない。
カンファレンスやイベントで話すつよつよな人たちや、技術が趣味ですみたいな人に多く出会う中で、自分は技術が好きなのか?エンジニアをやりたいのか?収入を得るための手段としてコスパが悪いのではないか?とか、ずっと不安を抱えていたように思う。
そんな中で昨今のセキュリティ対応。
対応は大変だし今後も当然起きてほしくないが、正直楽しいと思ってしまっている自分がいた。
今回の脆弱性がどう問題なのかとか、鍵が漏れるとはどういうことかとか、大学時代の最低限の知識とリンクする瞬間が楽しかったのかもしれない。さらに言えば、非エンジニアにはない「情報系の素養がある人間」だからこそ、価値がまだあるんだという全能感が自信になったこともありそう。
あとはやっぱり、「技術者はかっこいい」という憧れがおそらく根底にあって、その「かっこいい技術者」でありたいという思い自体は変わらないのだと気づいた。
さらに今回のVue Fes でも、素直に技術の楽しさや雰囲気に飲まれることで、違った角度で前向きになれた気がする。
Evan Youがtsrsの話題で「AIがあるから移行が実現的になっている」と言っていた気がするが、トップのOSS開発者でさえAIによるコーディングは当然の前提になっている。だが、voidを取り巻くエコシステムのように、より生産性を上げるためにツールを向上させていくのか、どういう方針で発展させるのか、何を守っていくのか、それらは技術的知見を持った人間が意思決定をしていくことは変わらないと気づいたし、技術者の偉大さを改めて感じた。
「コードを書いて実装」をやらないのであれば、ツールの導入や高速化しかり、開発サイクルしかり、セキュリティしかり、より高度な部分に目を向けられるようになるだけの話で、重心が変わっても技術者として楽しく学びながらやれることはあると、これらの出来事を振り返って考えた。
コードを書かなくても、エンジニアとして向き合ってきたものの価値はむしろ上がっているのに、何を不安に感じていたのかとも思う。エンジニアが不要になるから今後はビジネスに寄っていくしかない、という考えは短絡的な焦りだった。
キャッチアップをして、同じ話題で熱狂して、課題を共有して、仕事に還元していくこと。対象が多少変わってもそれが楽しいことは変わらないし、続けていきたいのだと思う。それが技術に関することなら、なお楽しい。
つよつよでもよわよわでも関係なく、とりあえずもうしばらくは技術者でありたい。